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沖縄ストーリー☆OKINAWA-STORY☆新しい沖縄の物語

聞得大君琉球の信仰の神女の最高位の呼称

聞得大君(きこえのおおきみ、きこえおおぎみ、チフィジン)とは、(通称)。「聞得大君」は「最も名高い神女」という意味で、宗教上の固有名詞となる神名は「しませんこ あけしの」「てだしろ」である。



琉球の信仰における位置

聞得大君は琉球王国最高位の権力者である国王のおなり神に位置づけられ、国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。そのため、主に王族の女性が任命されている。琉球全土の祝女の頂点に立つ存在であり、命令権限を持った。ただし祝女の任命権は国王に一任されていた。また、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管し、首里城内にあった十御嶽の儀式を司った。

就任儀礼

沖縄本島最大の聖地である斎場御嶽において就任の儀式である「御新下り」が行われた。「御新下り」の本質は琉球の創造神との契りである聖婚(神婚)儀礼と考えられている。宗教観念上は、この聖婚により君手摩神の加護を得て、聞得大君としての霊力を身に宿すのである。就任後は、原則として生涯職である。

由来

琉球王国では、尚真王代に中央集権化と祭政一致が行われた。この際に各地に存在していた神女をまとめるため神女組織が整備され、その階位の頂点として新たにこの役職が設けられた。ちなみにそれまでの琉球王国における祝女の最高位は佐司笠(さすかさ / または「差笠」と表記)職と国頭地方由来の阿応理屋恵(あおりやへ / または「煽りやへ」と表記 / 琉球方言読み:オーレー)職であり、これらは聞得大君職制定のあと、全祝女の中で聞得大君に継ぐ第二位の格付けと降格されている。

その神名「しませんこ あけしの」は勢理客にあった既存の祝女職と同じであることが判明しており、聞得大君職の元になった宗教概念が以前から存在したと考えられるが、その詳細については不明な点がある。また「てだしろ(=太陽の依代)」はそれまで馬天祝女の神名であったが、聞得大君職の制定とともに馬天祝女から剥奪された。

盛衰

尚真王の妹である音智殿茂金(神名、月清)が就任したのが最初である。王国崩壊後もこの役職は存続し、戦時中の1944年に18代、思戸金翁主が就任したのを最後に不詳年に廃職されている。

聞得大君(役職に就いた人物)の一覧
初代:月清(生没不明)就任:尚真王代
二代:梅南(不明 - 1577年)就任:尚元王代
三代:梅岳(不明 - 1605年)就任:1577年
四代:月嶺(1584年 - 1653年)就任:1605年
五代:円心(1617年 - 1677年)就任:1653年
六代:月心(1645年 - 1703年)就任:1677年
七代:義雲(1664年 - 1723年)就任:1703年
八代:坤宏(1680年 - 1765年)就任:1723年
九代:仁室(1705年 - 1779年)就任:1766年
十代:寛室(1719年 - 1784年)就任:1780年
十一代:順成(1721年 - 1789年)就任:1784年
十二代:徳沢(1762年 - 1795年)就任:1789年
十三代:法雲(1765年 - 1834年)就任:1795年
十四代:仙徳(1785年 - 1869年)就任:1834年
十五代:仲井間翁主(1817年 - 不明)就任:1870年
十六代:安里翁主(1825年 - 不明)就任:明治年間
十七代:安室翁主(1874年 - 1944年)就任:大正年間
十八代:思戸金翁主(1887年 - 不明)就任:1944年。戦後廃職


私は、聞得大君(きこえおおぎみ)の役職の3代目でなく、

聞得大君(きこえおおぎみ)と名になったのが、上記歴史うち一人が、真の聞得大君(きこえおおぎみ)二代目。

一代目は、「君々(きみぎみ)」という、琉球創造神話の女神です。


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